
僕自身も、何かのタイミングで、いてもおかしくない、よく知る場所での白昼の惨劇に驚きと恐怖を隠す事が出来ません。
くしくも、6/8という日は01年の池田小事件と同じ日との事。
自暴自棄になった、わがままで身勝手な男一人の為に、また何の罪も無い7人の尊い命が失われるという不条理。
懸命に救助活動を続ける人達。自分の身も顧みず犯人に立ち向かう警察官。
名も無き強き人達
笑いながらビデオやカメラで撮影する野次馬
「おたくがもっと死ねば良かったのに」と、電車の中で話す若者達。
同じ世の中にすみ、同じ時代に生きているのに、それぞれの立ち位置の差はいったい何から生じるのだろう?
僕に出来る事と言えば、忘れない為に、自分のブログに刻んでおくぐらい…
残念ながら無力です…
本村さんの言葉を借りるなら、そういった悲惨な事件が起きない社会にするにはどうすれば良いかを我々は考えなければならない。
そんな言葉がむなしく響く世の中になってはならない。
そして、くだらない芸人の一発芸や、流行歌のように、使い回すだけ使い回して、飽きたらポイッと捨てる様な忘れ方もけっしてしてはならない。
何故、“彼”は日曜の真っ昼間、秋葉原の歩行者天国のど真ん中に現れたのだろう?
わざわざ、レンタカーを借りてそれも静岡から。
原宿、渋谷 新宿、ではなく、なぜ秋葉原だったのか?
彼の心の闇とは? 彼の様な心の状態になってしまう環境とは?
その謎をキチンと究明し、対策を立てない限り、こういった事件は永遠に無くならない様な気がします。
でなければ、理解ができないおかしな事件ですとオウムの様に繰り返すアナウンサーの映像と悲しみに打ちひしがれる遺族の映像が垂れ流され、見る側は麻痺し、自分でなくてよかったと自分のささやかな幸運に喜び、少しは怒ってみたりして、自分の正義感を慰め、そして事件は何時しか忘れ去られ、その間にも 新しい“彼”がどこかでまた育まれていくのです。
彼を生み出さない為にも、僕やあなたがそうはならない為にも、我々は、自分たちの生きる社会、国、時代を真剣にかつ諦めずに見つめ考え続ける事が必要なのかもしれません。
とりあえず、僕は僕なりに考えていきます。
何かの縁があって、僕のつたないブログを読んでくれたあなたも、是非考えてみて下さい。
お願いします。
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